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クリスマスは、ぜひ教会で!

・クリスマス礼拝・祝会
2015年12月20日(日) 15時30分~
(礼拝とお祝いの会です!)
・クリスマスイヴ燭火礼拝・茶話会
2015年12月24日(木) 19時~
(イブの夜はろうそくで幻想的なひとときを!)
・子どもの礼拝・クリスマス会
2015年12月25日(金) 10時30分~13時30分
(子供たちのための礼拝をします!)

日本キリスト教団 鴨方教会
牧師 石川 敬規
〒719-0252
岡山県浅口市鴨方町六条院中4154
TEL/FAX 0865-44-5655
JR鴨方駅 徒歩10分
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# by kamogata_church | 2015-12-25 10:30 | これからの行事

「お言葉どおり、この身になります様に」

 天使は…「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」…「マリア、恐れることはない…あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい…」「聖霊があなたに降りいと高き方の力があなたを包む。…生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」…。
(ルカ 1:26-38)

 クリスマスの時期に、この箇所を何度も何度も聞いて来たことでしょう。しかし私たちはこの降誕物語を、そして「お言葉どおり、この身になりますように」という、このマリアの告白を単に「マリア個人のもの」として片付けて来てはいないでしょうか。
 教会は、マリアの告白を「教会の信仰告白」として告白し、教会の語る福音として宣べ伝えて来ました。マリアの告白を教会の告白として、そして私たち信仰者一人一人の信仰告白として告白する時に、クリスマスを、主なる神様の救いの御業として受け止めることになるのです。マリアの告白は、この私たちの!主なる神様への信仰告白なのです。「どうかクリスマスの救いの御業がこの身になりますように。そして一人でも多くの人たちに、救いがもたらされますように」と。


# by kamogata_church | 2015-12-13 15:30 | 先週の説教

「その名はインマヌエルと呼ばれる」

…主の天使が夢に現れて…「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである…。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」…主が預言者を通して言われていたことが実現する…「…その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは…妻を迎え入れ… (マタイ1:18-25)

 われらの救い主イエス・キリストは聖霊によって宿り、処女マリアから生まれた「真の神の子であり、かつ真の人である」。まさにこの信仰告白が降誕物語の語ろうとしていることと言えます。天と地を創造された主なる神様が、独り子なるイエス様を通して、この私たちの人生の只中にまで深く関わろうとされた! 畏れ多い神様は、もはや遠くにおられる神様ではない、近くにおられる神様、いや、それよりももっと!私たちと共におられる、共に歩まれる神様なのです! この神様が!この私たちを救うために独り子なるイエス様をこの世に遣わして下さったのです! 降誕物語を通して主なる神様の救いの御業を仰ぎ見るのです。  クリスマスはイエス様を通して「神様がわれらと共に」生き、共に歩み始めて下さった救いの出来事なのです。

# by kamogata_church | 2015-12-06 15:30 | 先週の説教

「この言葉は、今日、あなたが耳にした時、実現した」

「イエスは…聖書を朗読しようと…預言者イザヤの巻物が渡され…『…貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれ…私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。』…イエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき実現した』と話し始められた。」(ルカ 4:16-21 )
 
 ルカは今回の箇所で、イエス様の伝道の業を、イザヤ書の言葉によって一言で要約し、すべてのものからの解放「恵みの年」であると語ります。田畑を休耕し、大地は神様の物であることを再認識し、実った果実等は貧しい者の食とし、債務免除も行われた7年ごとの「安息の年」。この安息の年を7度数えた50年目の「恵みの年」(ヨベルの年)には、生活のため売り払わざるを得なかった土地の権利が無償で返却され、奴隷は生まれ故郷へと解放される! しかし実際には、50年目の節目に雄羊の角(ヨベル)のラッパが吹き鳴らされただけでした。しかし!この「恵みの年」が、イエス様によって実現した! 罪の縄目からの解放、真の解放がイエス様によって実現した!とルカは語るのです。このお方こそ、真の救い主であると!
# by kamogata_church | 2015-11-01 15:30 | 先週の説教

「あなた方の義がまさっていなければ」

わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。(マタイ5:17-20)

ファリサイ派は、イエス様を安息日に病人を癒し安息日を犯し、律法を軽んじていると非難し、律法を軽んじていると非難し、律法を徹底的に守ることによって、義とされると主張。一方、キリストを信じる信仰によって救には、律法は無効、旧約聖書は無用と主張したキリスト者たち。このようなキリスト者たちに対してマタイ教団は、イエス様の口を通して「イエス様こそ、旧約聖書の語る預言の成就であり完成者である」と主張したのです。そして驚くことに、ファリサイ派の人たちの義にまさらなければ天の国に入ることが出来ないと語るのです。しかしこのような義を獲得できるのでしょうか。いや、行いによる義は救いには至りません。キリストを信じる信仰によって、キリストによって救いが、神様との平和が、真の義が与えられるのです!何という恵み!

# by kamogata_church | 2015-11-01 15:30 | 先週の説教